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「日本人とユダヤ人」 イザヤ・ベンダサン著

「日本人とユダヤ人」 イザヤ・ベンダサン著

在日ユダヤ人「イザヤ・ベンダサン」の著作より、その一文を考察する。
(昭和46年9月・初版発行/昭和61年6月31日69版発行/340円/角川書店)

「下記の文章が本文となります」

■「内なるゲットー、外なるゲットー」という言葉は、ヘルチェが出だしたのであろうが、
こういう見方は古くからユダヤ人の間にあった。というのは、ちょうど隠れ切支丹と同じの
隠れユダヤ人が、中世には実に多くいたからである。彼らはマラネンといわれ、宗教的
迫害の強かったスペインでは特に多かった。かく言う私もマラネンの子孫であるから、
その実態はよく知っている。彼らは、彼らは、何代にもわたって、あくまでも敬虔な
カトリック教徒として振舞う。自分の精神を黒幕でつつみ、そこに大きくカトリック教徒
と書いて生きているわけである。嘘か本当か知らないが、カトリックのさる有名な聖人は、
実はマラネンなのだそうである。こういうことがあっても別に不思議ではない。
(P17-P18)

■「アウシュビィッツ」的敵思考の基になる考えは(もちろん考えだけだが)牧畜民乃至は
その後裔なら、どこの国にもある。皮肉なことに、もちろん、ユダヤ人にもある。
私はユダヤ人であるからユダヤ人のことを誤解されたくないが、これを言わねば
フェアではあるまい。二千年前のことだが、有名なラビ・エレアザルは「アム・ハ・アーレツ」
(一種の賤民)は見つけ次第八つ裂きにして良い゛といった。弟子が驚いて八つ裂きとは
少しくひどいではないですか、せめて「屠殺といわれたら」というと、「家畜は屠殺するとき
祝福せねばならない、だがアム・ハ・アーレツはその必要はがないと」と答えた。
彼の目には、ある種の人間は、家畜以下だった。だがくどいようだが誤解されてはこまる。
家畜以下ということは、けがれた四つ足以下という意味ではない。否四つ足はけが
れてはいない故に、アロ・アーレツには、屠殺という言葉を使ってはいけないのである。
ユダヤ人は主としてドイツで同じ憂目にあった。
(P43)

■「政治天才と低能」
(前略、木工の話の後半にて)
ユダヤ人はすべて「モーセの律法」に準拠して事を行う。従って、すべての人が
正しいとするなら、それは、みなが知悉しておりかつ心服してしる法律に正しく
準拠してるはずだと考え、またイスラエルには債権債務を帳消しにするヨベル
の年といのが四十九年に一回ずつあり、人々はこれを当然と考えていたので、
何かそういった規定があるのではないかと考えたのも自然であった。

(このあとこの著者は、イスラエルにもし徳川家康クラスの人間がいたら、
パレスチナがユダヤの手に無血で返還されたかもしれないとふかく嘆いた。
そして既得権をユダヤ人達は作れないと嘆く。これは何を意味しているのか
理解しがたいが、前略文章で日本とユダヤの政治の違いを説明している。)
(P94-P95)

■サンヘドリンの規定と「法外の法」(聖書ミカの歴史)
紀元前701年、と言えばずいぶんと昔のことだが、ユダ国の南西部、今度の
「六日戦争」でも戦場となったガザ地帯の近くのモレシテという小村に、ミカという
人が住んでいた。この地方は最も豊沃な小麦の産地で、彼も独立自営農民
であったらしい。簡単いえば田舎の百姓のミカである。ところが何の動機で
(当時の表現によれば神の召命をうけて)彼は預言者として活動をはじめた。
この預言者(プロフェトス)というのは、必ずしも予言もくは予見者・先見者の
意味ではない。むしろ、神から言葉を預託された者の意味であろう。
このお百姓さんのミカさんは、いろいなことを宣べ、その一部が旧約聖書の
「ミカ書」に収録されている。もちろんこの「ミカ書」なるものの全部が彼の言葉
ではない。後代の多くの言葉が加えられ、またさまざまな再編集も行われて
いるから、確実に彼の言葉といえるのは、一章から3章までであろう。
キリスト教徒はミカを、イエス・キリストの出現を予言した預言者として
珍重するが、もちろんこれは後代の勝手な解釈であって、何の根拠もない。
ただキリスト教徒はこれ以外の点ではミカになんの関心も示さないので、
日本人キリスト教徒にミカについて聞いても、おそらく何も知らないであろう。
このミカ氏は驚くべき進歩的な意見を口にした。すなわち(一)富者(地主・資本家)
が貧者(労働者・農民)を搾取するのは罪である。(二)故に、この搾取した富
によって築かれたエルサレムの神殿は罪の成果であるから、ヤハウェ(神)
自身がこれを打ち壊すであろう、と神殿を、それが代表する現体制と見、
神の意思を必然と解するならば、まことに近代的な考えといわねばならない。
だが、ミカの言った意味はそれだけではない。神殿を増築し、美しく飾る
ということは、言うまでもなく一心に神を拝し、神を賛美し、神に仕える行為である。
そして、この行為を一心に、まったく私心なく、心をこめてすればするほど、
それが神の意志に反してくるということである。一種の弁証法といえよう。
弁証法の祖はまさにミカであるといえる。富者の横暴を怒る言葉は、
彼より古い預言者、テコアの牧者アモスにもあるが、アモスの場合は、
はっきりと搾取を不可としているのではないから、この点でも彼が最古の
人かもしれない。

※(著者の考えでは、アモスの行動にユダヤの弁証法を重ねて見ている
のかもしれない。せっかくのミカの直言がユダヤの弁証法にかかると、
逆の屁理屈のように説明されていく傾向が観察できる。これがユダヤ式であり、
米国型の特定思考の根底にある猛烈な屁理屈となっていると思われる。
アメリカ人は屁理屈を言っても正論をいわないという理論の原点だろう。
さらにWBSの出演者が奇怪な理論で経済理論を扇動し、屁理屈の対応で
コメントしているのもユダヤの交渉術を正しきものとして学んだ結果であろう。
こうしたユダヤ的犯罪思想に基ずく傾向は、昨今、日本人の精神を激しく蝕んでいる。
ユダヤの交渉術や弁証法は本来ユダヤ人のための規定である。
そのためこれを第三者が学ぶと、犯罪を助長したり手助けする場合がよくあり、
使用方法を間違えると、延々と他国の民族と紛争を発展させるという危険性もある。
ユダヤ商法の一つに「株式経済理論」があるが、ユダヤ人の最高宗教法典の
中にはユダヤ人以外とイスラエル人以外に金と資産を渡すことは、神の教えに
反する行為でありゴイム(ユダヤ人以外の人種をゴイム=豚という)に資産
と土地を渡す者は、汚れし豚であり、屠殺または拷殺も許すと、ラビ達が布教した。
この「ラビ」という地位は、ユダヤの教師であり法典の継承者を意味する。
これらは「近代株式経済」の「基礎」となり、株主という位の者、すなわちユダヤ人達
が他国の資産を強奪するための「経済学=手法」として発展し、その名の通り
非ユダヤ人の資産はゴイム(豚)なので資産保有の権限は無く、その一括管理
は株主であると宣言した。これが米国や英国から練りだされた「株式経済」の
基底となっていった。その由来の通り現在でも、ファンドの会長やトレーダー達
は会社はその民族の規定する資産ではなく、株主(ユダヤ教徒)の所有物
であるからにして、会社になんら所有権限は無いと説明している。
「会社は株主の物」というでたらめな言い分は、ユダヤ教徒の流行らせた
他国に対する攻撃または、豚に対する屠殺行為なのだと理解しておくべし。
トヨタの高級社員が知らずにロスチャイルドの弁証法というのを過去に導入したが、
関連企業の発注を違法に定額で発注し、それを強制したりする事件もおきている。
しかし、これはユダヤ人から見れば、アジア人「同士で株主」のものだと脅迫を
かけて、「豚同士が資産権を主張」しているかのようにユダヤ人達には見えるという。
日本人は戦後何も知らずに豚と宣言されているにもかかわらず、JPモルガンや
外資系に就職しては、自国民殺しの違法買収をさせられているのである。
何も知らずに経済で殺し合わされているこの光景は、ユダヤの長官達の目には
ユダヤの「家畜」達が、同朋で共食いしていると笑いこけるという。
その原点である法典の一つ、「タルムード」の旧約絶版の一つがこれである。
現在は新約版のタルムードが出版されており、ユダヤ機関のシンパが教育として
使っている。新約版は他国の人々を説得するために増刷された偽書。
家畜と認定されている蔑視用語は、ゴイムの他にもゴイなど各国の言語に合わせた
字典がある。その有名な一つが「エノラ・ゲイ」天皇を屠殺せよ、という言語。

●ゴイに金を貸す時は必ず高利を以てすべし。
<モシェー・バル・マエモン>

●拾得物を紛失者に返却すべしとの戒は、ユダヤ人に対してのみ守らるべきものにし
て、ゴイに対しては然らず。この事に就き亡き吾等の教法師達の言えるあり。即ち、
「遺失物とはすべて汝の兄弟の失いしところの物を指すものにして、ゴイの失える物
は然らず。その理由は、ゴイは神に属する者に非ずして、地の邪神に属する者なる故
なり。故にゴイの失える総べての物は、此の世にては再び見付けらるる事なき遺失物
にして、その所有者に還るべきにあらず。財宝は唯イスラエル人にふさわしく、他の
民はこれに値いせざるものなればなり。
これ預言者イザヤ(二六ノ一九)の言えるが如し」と。<ゲルソン法師>

●他民族の有する所有物はすべてユダヤ民族に属すべきものである。ゆえになんらの
遠慮なくこれをユダヤ民族の手に収むること差し支えなし。
(シュルハンアルクのショッツェン・ハミッバッド三百四十八)

●ゴイがゴイまたはユダヤ人を殺した場合には、その責任を負うべきであるが、ユダ
ヤ人がゴイを殺した場合には責任を負うべきものでない。
(トセフタ、アブダ・ザラ八の五)

●?盗賊?という言葉の解釈。ゴイは、ゴイからであろうとユダヤ人からであろうと、
盗むこと奪うこと女奴隷を使うことは禁じられる。だが彼(ユダヤ人)はゴイに禁じ
られているこれらのすべてのことを為しても禁じられない。
(トセフタ、アボダ・ザラ、?の五)。

●すべてのイスラエル人は一定の法式により動物及び動物視されている非ユダヤ人を
屠ることを許さる。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)


●偶像礼拝に帰依せる非ユダヤ人及び賎しき牧人はこれを殺すことを許さず。されど
彼等が危険に面しまた死に瀕せりとて彼等を救うことは許されず。例えば彼等の一人
水に落ちたる時、報酬ある場合と雖も彼を救い上ぐべからず。また彼等を瀕死の病よ
りも癒すべからず 「 「報酬ある場合と雖も。しかれども吾等と彼等の間に敵意の生ず
るを防止する為ならば、報酬無き場合にも彼等を救出しまた癒すことを許さる。しか
れども偶像を拝む者、罪を犯す者、掟と預言者を否む者は、これを殺すべし。而して
公然と殺すを得ば、その如くなせ。しかするを得ざる場合には、彼等の死を促進せよ。
例えば彼等の一人井戸に落ちたる時、その井戸に梯子あらば、これを取去り、直ちに
再び持来るべしとの遁辞を用い、かくすることにより落ちたる者の身を救い得べき道
を奪うべし。(シュルハン・アルフ、第二巻智慧の教)

●非ユダヤ人の証人たることろの証書はすべて無効なり。
(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)

●非ユダヤ人はイスラエル人の財産に対し所有権を有せず。
(シュルハン・アルフ、第三巻正義の楯)
●ゴイの財産は主なき物品のごとし。
(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、一一六の五)。
●ゴイの土地は荒野のごとし。最初に鍬を入れた者に所有権が帰する。
(ババ・バトラ、一四のb)。
●ユダヤ人はゴイから奪ってよい。ユダヤ人はゴイから金を騙しとってよい。ゴイは
金を持つべきではなく、持てば神の名において不名誉となるだろう。
(シュルハン・アルーフ、コーゼン・ハミズパット、三四八)

●拾得物をゴイに返却せんと思うは罪なり。コイの紛失せる物は、これを己が所有と
なすも差支えなし。「汝の兄弟の物は総べてこれを返却せよ」とタルムードに記され
たる故なり。然るにゴイは兄弟に非ざる故に、拾得物を彼に返却する者は罪を犯すな
り。<モシェー・バル・マエモン>

たしかに、スティールパートナーズの社長が日本人にベロを出して
バカにしたり屈辱をしている光景がよく報道されているが、当の日本人は
ユダヤ人の民族国家思想を知らないために、株式を開放してユダヤ人に
管理させるのが世界的常識であると錯覚して、どんどんと株式で支配され
ていくのを切望しているかのように見える。さらにユダヤ人の商人は、
他国で取引して摩擦が起きた場合はけっして顔色に怒りを出さないという。
こうした二枚舌戦術が外資の実態といえよう。本来日本に対して原爆を投下
した国際資本家達は、日本人に資産を与えるはずもなく、小泉低能チルドレン
達は、自分達が奴隷であると宣言されているとも知らずに、延々と「改革」
なくして発展無し!というお間抜けな国家スローガンを言いつづけている。
騙されているということに察知できないのは、「すべてにおいて鈍感だからである」。

過去実際に行った事例その一。
【ユダヤ人が世界中を騙したときに実際利用した格言集。狡猾な悪魔商法理論。】

「客と魚は三日もすると悪臭がする」
「一度に海をつくろうと思うな、まず小川からつくらなければならない」
「金貨が鳴れば、悪口が静まる」
「カリフラワーが住む虫は、カリフラワーが全世界と思っている」

我々のユダヤに対しての認識は、ユダヤ人からすればゴイムが
なついて命乞いをしてるかのように感じているだろう。
またユダヤ人の特殊の思考原理は、殺人に対しても「屈折」した考えを用いる。

ユダヤ人達が屈折しているところは他国の人種を殺す時には「躊躇」せず、
逆に何に対して躊躇するのかというと、殺す「力」を教えられた事に対して
「プレッシャー」を感じるだけであり、殺すことに対しての「罪悪感」が無いという。
いわば、自らの力をどう利用するのかという緊張感だけであるという。
これを分析すると立派な精神異常である。日本に原爆を投下しようが
涙も流さず笑顔で来日するという所業は、正に「選民主義者」であるユダヤ人達
だけが行える、真性の魔業主義といえよう。
(P96-P97)

■「サンヘドリン・全員一致の審決は無効」
全員一致は、興奮状態であり正常ではないと判断するユダヤ思想。
キリスト教徒がキリストと呼ぶナザレ派のラビ(教師)イエスや、ラビ・ガマリエル門下
の逸材で、同じようにキリストの教徒が使徒パウトと呼んだ、ローマ市民権をもつ
パリサイ派のサウロの発想にも、同じことがみられる。すなわち。神の戒命(法律)
に、一転一画もおろそかにせず従うこと自体が、神を信じないこと
(すなわち神に従わないこと)になる、という考え方である。
ユダヤ人の思想家をたどっていけば、ミカ以来、多かれ少なかれ、こういった考え
をもたなかった思想家はいないといえる。イエスと同時代の多くのラビたちも、
中世のらびたちも、カール・マルクスもその発想の基底は同じである。
また戦前パリでアインシュタイン博士の解説的な講演を聞いた同胞の思い出に
よると、同じような発想が博士の学説の根底にあると思わざるえなかった
そうである。この発想は、いわばもう血となって、ユダヤ人の体質のようになっている。
それば学者が意識的に体系的学説を組み立てる場合だけでなく、日常の瑣時や
政治・経済の運営にまでしみこんでいるのである。その一例として、表題にかかげた
サンヘドリンの規定のことをお話しよう。サンヘドリンというのはイエス時代のユダヤ
国会兼最高裁判所のようなもので、七十人で構成されていた。当時の法律は、
いわばモーセ以来の法律が厳として存在し、問題はその解釈と適用だったから、
厳密な意味では立法権はないが、新解釈には「立法」といえる面もあった。
またこの解釈と判例に基づいて判決を下したのだから最高裁判所でもあった。
イエスに死刑の判決を下したのはこのサンヘドリンである。
(P99-P100)

※(ユダヤの最高会議兼、最高裁判がこのサンヘドリンである。サンヘドリンは
サンヒドリンなど色々な「なまり」がある。その一つから生まれたのが、
「ユダヤプロトコールとユダヤ共産主義」であった。これらの種類には、
賢人会議、長老会議・賢哲会議・評議会などがある。

近代では英国・米国を中心とするユダヤ主義の傾向があり、今では失敗作と
判明した共産主義などもこれらを知らずに引用した。
その結果、他国民とその他国に対して、侵略や殺戮を実行したという歴史が今もある。

サンヘドリンの鼎立規定は、全会一致で決めた判決は無効であると宣言してい
る点があるが、ここにユダヤの弁証法が加わると瞬く間に合法となる。
なぜ共産主義の国家殺戮が国連では合法なのかというと、この弁証法で
蜃気楼の如く実態をみえなくさせているからである。資本主義も尽く然りである。

しかし宗教上は全員無効とみなすので、後日宣言をしなおすという傾向がある。
これらは日本人では想像もできないほどの「厳密なユダヤ規定」があるので、
他国の民衆が聞いた場合は「戯言か屁理屈」にしか理解できない。それは当然
であり、こんなのが常識であったら世界は絶望と絶滅の道を歩むだろう。
それが共産主義と資本主義の現実であった。

よく日本国は世界から見て「日本の常識は世界の非常識」と揶揄されているが、
それは厳密なユダヤ教徒たちの言い分にしかすぎない。日本国民は本来
道徳を中心とする「道徳国家」であったが、織田信長の時代からユダヤ思想か
入り込みはじめ、今では責任や道徳という価値が共産党員達によって完全否定
され、それはなぜか悪であると教えられている。何故悪であるのかと共産党員が
説明するのかは、このユダヤ聖書の中の規定とタルムードの規定に合わせて
日本人を観察しているからなのである。ユダヤの解釈では合法でも、他国では
犯罪である。それ故に如何なる交渉に対しても弁証法で逃げるのである。


さらに日本人の得意技は一致団結である。これはユダヤ教徒にとっては
許しがたい悪行に見えてしまうという。
なので、ユダヤ主義者は徹底してこれらを否定しようとしムーブメントをする。
(ムーブメントとは、ユダヤ共産主義者のスローガンの一つである。)

こういう運動が昨今になり、「捕鯨反対運動」や「対日批判」の槍玉としてあげられ、
次々と日本人には理解の出来ない反日として我々は攻撃されているのである。
前回オーストラリアで日本人を殺す番組がつくられたが、ユダヤの戒律では
ゴイに対しての屠殺は、如何なる場合であっても「神の名に従い」すべて合法とみなしている。
さらにユダヤ派の流れを組む「切支丹達」にとっては、ユダヤの書物で禁止された
動物を喰らう者は、「敬虔な羊飼い」にとっても「例外なく屠殺」対象なのである。
これらは捕鯨船に対して軍艦で攻撃してよいという考えの一つとなっている。

ユダヤ人からすれば全員一致が無効であるのだから、日本人という豚が
抵抗するのを見ていると抹殺・屠殺・拷殺してでも「反対」しなければ
ならないと感じている者もいるという。このような非常識で世界を支配している
のだから、世界は延々とユダヤの「処刑法典」に合わせて戦争をさせられているのである。

日本の常識は非常識なのではなく、ユダヤの常識が非常識なのであると
宣言すれば、ユダヤ人のサンヘドリンにそえば、だれも否定すら出来ないだろう。
いやそれこそ否定こそはしても、道理がないので対立すれば奴らは結局逃げるしかない。
よくハゲタカファンドの連中が日本で違法買収に失敗すると、数日本国に
逃亡して作戦を練り直すという傾向があるが、正に精神が破綻してプログラム
しなおすために再度作戦をたてなおしている状態であると思われる。

ステールパートナーズの社長ともし対決する場合があるならせば、
道徳心と頑固な日本精神を叩きつけて問答をするといい。
奴は一種にしてその場から逃亡するだろう。この場面は想像の範囲で
簡単に推測できるが、外資にとってはそれが歯がゆく辛い。

ユダヤに豚と呼ばれても知らずに「外資」に勤めている社員達よ、
我々が豚と言われていることを知っておくべきである。そうやって9.11
では、イスラエル人の混血児であるアルカイダを動員して抵抗勢力を
抹殺していった。その抹殺対象が非ユダヤ教徒たちであった。
それを行ったのが国際資本家達であった。9.11ビルに勤めていた
社員のうち、ユダヤ教徒が1000人以上いたというが、そのうち
何人があのテロで死んだだろうか?逆に死んだ数を数えたほうが
早いというものだ。実に腐りきった根性と言えるのである。

「またよく授業などでは、社会学の時間に教員がこう教えているという。」

何故か大戦や戦争がおきるのは「下桁の二行」が「一致」した時であると
授業で習う人が多い。それは当然である。各国のメソニック達が宗教と
結社の法典に合わせて「殺戮のムーブメント」をしたのであって、
決して偶然ではないのだ。例えば9.11の時もユダヤの法典に合わせていたという。
さらにユダヤの聖書にある「債務帳消し」の【規定】
が【40年間に一度】くれば、その時借金のあった場所や会社に対しては、
徹底した妨害やテロを作戦してまで「帳消」しにしようとするだろう。
これが近代経済学の悪行の全である。

この書籍の中盤には、処女降誕説の間違いなど多数面白い記事が
掲載されている。例えば、新約聖書のどこを開いても「三位一体」
などは出てこないという説明や、キリスト教の成立と聖書の確立に
300年の違いがあるという最近では、一般的な常識などの暴露なども実に興味深い。
ようするに、切支丹側もファンタジックに捏造をしているのだ。当然歴代の
牧師関係者もユダヤ人のマラネン達だからである。一番せつないのは、
ほんとうに純朴なクリスチャン達を騙していることである。永遠と無根の思想
を実現しようとクリスチャン達は「三位一体」を実験している。メソニック
の下級機関員達も同じだ。(メソニックでも三位一体を信奉している)

さらに、世界の降誕の誤訳について「ヘブル語」(注意韓国語ではない)
から誤訳された文章の影響で、イザヤが言った乙女とは、ヘブル語の、
年の若い乙女という言葉の部分である、という説明などもあり、
これはキリスト教徒達には噴飯ものだが、これは正直な説明であろう。
この処女説が生まれた元凶は、旧約聖書がアレクサンドリアで
ギリシャ語に訳されたとき、ヘブル語の出来ない二世・三世の翻訳により、
この乙女がパルテノスと翻訳されてしまったという。
パルテノスとは、超古代ギリシャ神話でいうと「処女」または「非処女」であるとも
説明できるらしく、この時代にユダヤ人達はヘブル語ができなかったために、
当時ユダヤで使われていたアラム語とギリシャ語で誤訳された可能性が
あるということだったことだ。これが別に「ルカ」の諸説になると、
聖書でいう聖胎告知が記され始め、初めてルカの告知により奇妙な
キリスト教伝説が始まるとされている。しかも「ルカ自身」がユダヤ人ではなく、
おそらくギリシャ系の人であったと詳しく説明している。
この後半になると今度は、パウロ自身がイエスとは一度も会ったこともなく、
ルカ自身が多数の資料を集めて、独自に「ルカ書」なるものを編纂したという。

こうしてみると、聖書の内容はファンタジックにさらにノスタルジィーに
信者達が書き加えて聖人化したといえるのだが、道徳心かあれば
別に日本人の心情からすれば、別にどうでもよいと感じてしまうが、
規律と戒律の伝書を守るこの聖書教徒達にとっては、それは民族精神
にかかわる問題なので、詳しく調べているのだろう。私どもからしても
厳密なユダヤ神話より、ファンタジックな今の聖書やクリスマスの方が
楽しめる行事となっている。毎年イブだかの前後にケーキを食らうのも
楽しみであり、ワインを飲むのも楽しい限りである。貧困者や別居者
または孤児などの人々以外は、それなりに楽しい行事であるからにして、
ファンタジーを続けるのもありだと思われる。しかし、やはりキリスト教系の
祭事は孤児や何らかの精神的端児にとっては、家系の懐と見合わせてみても
非常に辛い日となるというから、おおっぴらに自慢して開催するような行事
ではないのかもしれないが。逆に日本の場合だといかに貧者であろうとも、
祝日は公平に味わえる。例えば正月に貧乏で金がなくても、神社にいけば
それで仲間であるし、例え足がなくて神社にいけなくても、太陽に向かって
日照を浴びれば立派な神道であるし、例え目がなくても神社の鈴を聞けば
お参りと同じである。さらに例え入院していても同じであり、食事に餅が出れば
お参りと同じであり、危篤状態の人であっても、神社や仏閣のお守りを
だれかがそえてやれば祭日となる。この優れた点は日本文化の真髄であり、
どのような立場の人間であろうとも日本教徒であれば同じであると伝えたい。
日本の究極性は精神であって、固定化しただけの形式だけではない。
そこがジャポニズムなのである。

正月に御節料理を頂くこともあるが、これはどちらかというと娯楽の部類に入る。
過去の武士階級や農民にしても現在のような豪華な食事は食べずに
精進していたからにして、美食をする必要もない。
誰でも寺の鐘がゴーンとなれば、それがそこの祭事となる。こういう柔軟な行動精神が
八百万の神々の〇の精神が生み出す「究極の世界観」にあたるのである。
三次元化した図形でも、■は四点で出来るが、〇の図形は数十点で結ばれる。
この違いからしても、古代日本国の精神性は超大なのである。しかし、当の
日本人が単調な米国文化の侵略によって、この複雑な精神文化を感じとれないで
いるのが悲しい限りである。どのような文化でも派手なのは誰でも出来るのだが、
質素で表現する文化というのは誰にでも出来るものではない。和美とは、
かなりの精神性を発達させた者だけの精神領域となるのである。
SF映画の未来図表現では、最高のものほど流体で表現され、さらに芸術が
凝縮され「質素」に見えるようになる。日本文化はすでに煮詰めて煮詰めて、
太古からそうなっていたということである。よく太陽信仰は愚者だと奇妙なクリスチャン達が
いうが、それは間違いである。いかなる宗派であっても必ず太陽から授かる
光が表現されているのである。光なくして世界は存在しない。しかし原理主義者
によると、これが全て否定されてしまう。もし人間が文明を使用せずに日光
を浴びなければ、精神も肉体も食料も作れないのは明白である。こういう現実的な
観点が欠如してくると、オカルト化してメーソンのような幼稚な連中が跋扈するように
なるのである。
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コメント

ご指摘ありがとうございます。確かにそのような記述になっておるようです。また内容についてですが、書籍記述の内、二つの内容はほぼ事実だと判断しておりました。この著者がどのような経緯で記した本なのかは実態が不明でありますが、なかなかの資料であることは間違いなく、参考とさせていただきました。ご指摘に感謝いたします。

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